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2015-09

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unko - 2015.09.29 Tue

ずっと続く友情かな思っていたら疎遠になったりすることが現実でもネットでもよくある
大抵俺の方ばかりがおぞましいばかりの友情を相手に感じているだけであって、相手はそんな気などない
友情とか、絆とかにただ酔っていただけである

実体験から言うと、こういった傾向は友達がほとんどいない人間に多い
大抵の人間は友人が複数いるので一人だけに構う必要はない
だが友人の脈を1つしか持たない人間にとっては大問題である
1つの脈を維持しようと必死になりすぎて、かなしいことだがそれが理由で疎まれることもある

かつて心の底から友情とか絆とかを希求した自分にとって、この種の難儀は考えものである
幼稚な論理だが、それは人間不信の対極に絶対的友情が存ずるということへの、或いは狂気じみた歓喜であった
しかしそれは現実的であるとは言えないし、むしろ空想の域に近い
おそらく空想に永らく生きてきたことへの弊害だろう

"一期一会"という受験で何度も聞かされてきた言葉の意味がふと理解された
永遠の友情を相手に求めず、相対的な人間関係を相手に求めよという意味である
人が出会い友情を築くのはよい、しかしそれは永遠ではない
たとえ悪意や妬みがなくとも人は何らかの理由で離れていく
それを追うのは、屋根の上に上り、網を片手に星を取ろうとするほど滑稽だ

1か0かの空想二元論で生きてきた自分は、この相対的事実に感づくべきであった
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ツイッター始めたwwwwwwwww - 2015.09.24 Thu


最近ツイッターを始めることにした。フレンドの誘いである。誰の勧めか もう忘れてしまった。
入会にはメールアドレスが必須だ。遊びのアドレスを用意し それを打ち込んだ。登録はあっさりと済んだ。
中は案外簡素なところである。どこまでも広がる単色。何も書かれていない白紙。
ただここが可変性を帯びた世界であるということは、
アイデンティフィケーションを容易にするアバターの存在、背景の自由な設定、
および既存のアカウントの版権画像の濫用を見れば明らかであった。
ここにユーザーは"自分らしさ"を埋め込んでいくのである。

機械に自己紹介を強いられた。何か意表を突くものを考えなければなるまい。
試みに"議論に自信ニキ"とでも書いてみた。情けない話だ。現実はどうなのか。
次にアバターである。自画像を描いて載せておいた。どこぞの版権よりかは問題ない。
背景はゲームのスクリーンショットでもおいておけば問題ない。もちろんキャラの自撮り。

準備は整った。 好きなことをつぶやいてみる。
「ツイートする」を押す。テキスト入力欄が表示される。そこにうっすらと文字が見える。字数制限140字。
140字。とても少ない。入試ではあんなに長々と感じられた140字。だがここではかすんで見える。

天邪鬼はどこにでもいるもので、こんなツイッターで深い洞察をしでかすやつがいる。
当たり前だ。俺自身がやってみせたのだ。
140字では足らんので長文を3分割した。140字でおさまるように。
題は確かIfとThenに関する認知の洞察だった。

3つに分割されたツイートをまざまざとみる。ブログで書くような文。普通の文なのだが。
少しかっこわるい。むしろ嫌悪だ。誰がこの文を書いた。なぜ書いた。
周りはそうじゃないだろう。なんで目立とうとする。知識自慢か。やめてくれ。
そう思った俺は静かに3つのツイートを消した。まあ恥ずかしかったんだろうね。

ブログじゃ恥ずかしくなくてツイッターだと恥ずかしいってのは、
つまりブログでは自分の庭ででけえツラできる傍らツイッターじゃ叩かれるってんで
自分の優位が保てないでびびってるってことだろ。

当たり前のことだがTPOをわきまえるべきである。
難しいことを論じたければブログで長々とやればいい。
ツイッターの意義はその140字制限から垣間見ることができるように、迅速な情報の発信にある。
だから難儀な物言いが好まれないのは致し方がない。

あと何でも長文であればよいというものではない。
長文でないからこそ光るものがある。"俳句"なんかがまさにそうだ。
17字という制限の中に宇宙を創る。140字の比ではない。
字数が足りなくとも難儀の中に見出せる世界というものが構築できるという論拠になる。
事実、松尾芭蕉の俳句には何万もの考察がなされている。
ツイッターでもかの短文美学が継承されているというわけだ。

こんなかんじでツイッターでは長文が好まれることはない。
いまからツイッターをやる子は注意しよう。おいお前、それクソリプだから。

hmmm.png
                               フレと外人ゲーで遊んだ


短文ツイートなら受けがいい。ぽちぽちつぶやいていくうちにフォロワーが増える。
で、有名人でもない限りフォロワーが来たらフォローするのが習わしらしく、
俺のフォローする相手も増えていった。メイプル関係者だけ。

ツイッターの興味深いところは、フォローしたやつのツイートがタイムラインに載って可視化されることだ。
たとえば加齢パンマンをフォローしたら加齢パンマンのツイート「加齢臭くっさ」が俺のタイムラインに出る。
加齢パンマンの加齢臭なんかどうでもよくても、加齢パンマンが「加齢臭くっさ」が見えてしまう。
俺はそれをおもしろいとおもうが、加齢臭がイヤならフォロー外せばいいんじゃねえの?

ツイッターのフォローという機能から現代という層が見えてくる。
端的に言えば、気に入ったやつを身内に引き込んで、気に入らない奴は引き入れない、というものだ。
フォローしなければ可視化されない。どいつもこいつも自分の庭で良い気になれるということだ。

合理的といえば合理的だけど。長い目で見る付き合いとか、重厚な関係とか、
そういう人間らしさがここいらで失われている気がする。
だって、ツイッターの関係って気に入らなければすぐ切ることできんだろ。軽いんだよ。
フォローしようがしまいが人間はそこにいるし、文句だって言うし、褒められることもある。

人間が、人間らしさを機械から奪われる。 
利用していると思っていた人間が、実は機械に利用されていた。
現代の課題だと思う。人間と機械の闘いっていうのはSFだけの話じゃない。

こんな時代で世知辛いが、だからこそ人間は進化しなければいけない。
認識の問題だが、大衆社会に対して迎合性ではなく独自性を求めるべきである。
独自と独自の対峙。ツイッターを利用するとき、俺はこう心がけている。
"俺はこうだけど、お前はこう"  "お前はここが優れているけれど、俺はここが優れている"
迎合とも忌避ともつかぬこの態度が、現代の理想なのではないかと思う。

精神論なんで具体的な方法は分からんが、一応独自性を生み出せる土壌の作り方を紹介する。
実に単純ながら、たくさん本を読み、たくさん経験するということである。
それで得た物に対して、ヘタでもいいから自分なりの評価をくだす。
古くから言われていることだが、これが確実だと思う。




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